眼鏡橋の由来

眼鏡橋(めがねばし)は、橋の種類のひとつだそうです。

本来はアーチが2つ連なった石造2連アーチ橋を指すらしい。

2連アーチ橋自体と水面に映る橋とが合わさった姿が眼鏡のように見えることが、その名の由来といわれているそうです。

広義では、単アーチ橋や3連以上のアーチ橋も含めた石造アーチ橋全般を眼鏡橋と呼び、また石造だけでなく煉瓦造のものも眼鏡橋と呼ばれることがあるらしい。

個別の橋の名称や別称としても用いられる。 

眼鏡橋として特に有名なのは長崎市の中島川に架かる橋で、橋の長さは22m、幅3.65m、川面までの高さは5.46mだそうです。 

 

 

改めて調べると感動します。

1634年(寛永11年)興福寺の2代目住職、黙子如定(もくすにょじょう)が架け、1648年(慶安元年)の洪水で損壊するが、平戸好夢が修復、以後度重なる水害に耐えてきたが、1982年(昭和57年)の長崎大水害で他の橋も含め半壊。

修復時に江戸期のものとみられる階段跡が出土したため、階段が取り付けられた形で、翌年復元され、歩行者専用橋となった。

流出後、下流で見つかった石材については、復元時に再利用された。眼鏡橋の辺りは増水時の氾濫対策として川幅を広げる必要があったが、橋などの姿をなるべく残すよう、川幅や橋はそのままにして、両岸の地下に暗渠式のバイパス水路を設けることで解決。

まさに長崎県の重要文化財なのです。

地震の多さが懸念されますが、今後も力強く眼鏡橋として掛かっていてほしい物です。

 

本社営業部  小林 啓司