アメリカ映画、あるいはヨーロッパの映画を観て、家庭内の「照明」をまじまじと見るということはあまりないとは思いますが、スタンド照明とかあるいはベッドサイド照明とか、あるいはキャンドルだったりします。でも天井にある照明は? イギリス、ドイツ、アメリカ、ベルギー、オーストラリアなどの友人宅で夕食をとって、夏だととても日が長くやっと暗くなってくると、やっと照明のスイッチを入れる。そのほとんどがダウンライトか間接照明、もしくはスタンドで、ある一定の場所がほのかに明るくなっている程度。蛍光灯は物置等で見ましたが、居住空間ではあまりお目にかかりません。
ヨーロッパに行くとまず気が付くのは、空港がうす暗いこと。そして出来るだけ自然光を入れるようにデザインしてあります。また、空港でさえも自販機がやたらに無いこと。市中でもせいぜいトイレ出入り口あたりの古そうな小さなタバコの壁掛け式自販機があるぐらい。地下道とか、地下鉄なんて日本と比べるとはるかに暗く、暗躍の世界に入り込んだ気持ちになるのは私だけではないと思います。東京沿線の車内蛍光灯は今や節電で「間引き」されていますが、次の蛍光灯との間隔なく煌々と蛍光灯がついている電車は世界にそうは無いと思います。
どうしてでしょう? それは普段明るい世界が「普通」になっているから暗く感じる。反対に欧米人にとって日本はやたらと明るい世界なのだと思います。持論なのですが、西欧人とアジア人、同じ人間ですから網膜視線維のrodとcone光受容体の数は、格段の数の違いは無いのでしょうが、感度もしくは光の環境・生活習慣によって、同じ光の強さでも実際見えている明るさ感が違うのではないかと思うのです。赤ちゃんの目は生活とともに、物を握ったり、口に運んだり、はたまたぶつかったりしながら、視差とともに、奥行き感、立体感を学習していくわけですが、明るさは生まれた時から感じ、その明るさに慣れていくのだと思います。多くのヨーロッパの人たちは寒くて長く暗い冬を過ごし、陽が降り注ぐ春、そして夏を今か今かと待ち望む。だからいい陽気になってくると、サングラスかけて真っ赤になるほど日光浴し、夜遅くまでその限られた「陽」のある時間を楽しむわけです。
照明の話に戻りますが、海外の友人に聞いたことがあります。なぜ蛍光灯をあまり使わないのかと。「安っぽい光」「冷たい感じがする」といった答えだったと思います。思うに恐らく彼らにとって煌々と明るい光は昼間以外そして陽の光以外はそれほど必要ではないのではないかと。彼らの居間は、くつろぐ空間、本を読んだり、テレビを見たりする空間であり、輝く光を望んでいないのだと思います。
日経にこんな記事がありました。「白色光ほど高い数値となる「色温度」でみると、米国シカゴの夜景は2800ケルビン、ニューヨークが3400ケルビンなのに、東京は4000ケルビンと突出していた。戦後、経済成長の波に乗るタイミングが、蛍光灯の普及期と重なった。幸せの象徴のように大量に取り入れたその光はまぶしい白色だった」。目の色など遺伝子的な違い、視習慣の違い等あると思いますが、電力が不足している昨今、照明を消してたまにはキャンドルの光を楽しんでみるのもよいかもしれません。
金塚 裕