上野公園の東京都美術館で、少し変わった里帰りが起きています。過去に海を渡り大英博物館に所蔵されている日本美術コレクションの中から、江戸時代の絵がまとまって帰ってきています。

「東京都美術館開館100周年記念 大英博物館日本美術コレクション 百花繚乱〜海を越えた江戸絵画」。4万点にのぼる日本コレクションから、選りすぐりの優品およそ200件が並んでいます。喜多川歌麿の肉筆画「文読む遊女」は今回が初めての里帰り。円山応挙の「虎の子渡し図屛風」も来ています。展示期間は10月18日まで。そのあと大阪中之島美術館へ巡回します。
とりわけ話題なのが狩野派の襖絵です。青森県中泊町の宮越家が所蔵する「春景花鳥図襖」、大英博物館の「秋冬花鳥図襖」、シアトル美術館が所蔵する「琴棋書画仙人図襖」。この3組がもとは一連の作品だったとわかり、約150年ぶりに一堂に会しました。大英博物館とシアトル美術館のものは、もともと一枚の襖の表と裏。1930年代に引き裂かれた両面が、いま同じ部屋に並んでいます。次にいつ見られるかは、誰にもわかりません。
前述の円山応挙は、若い頃「眼鏡絵(めがねえ)」を描いていました。遠近法で風景を描き、凸レンズを付けた覗き眼鏡を通して見ると立体的に見える絵です。傾けた鏡に映してレンズで覗く仕掛けなので、原画は左右が反転しています。絵は木版で刷った線に筆で色をつけ、さらにその絵に小さな穴を開けて薄紙を貼り、裏から光を当てる仕掛けまで施されています。そこだけが淡く光って見えたそうです。虎を屏風に描いたあの応挙の出発点が、レンズの向こうの小さな風景だったわけです。
そして江戸時代に油絵を描いていたことで有名な司馬江漢がいます(代表作は「相州鎌倉七里浜図」)。天明4年(1784年)、自ら手がけた腐食銅版の技法で眼鏡絵を一枚つくりました。「不忍之池」です。上野の不忍池を南岸から北へ望んだ構図です。江漢は覗くための「反射式のぞき眼鏡」まで自作しました。現物は神戸市立博物館に残っています。
会場の東京都美術館は上野公園の中、不忍池はそこから歩いてすぐです。240年ほど前、この池の絵をレンズ越しに覗いて驚いた人たちがいた。そう思って会場を出ると、いつもの上野が少し違って見えるかもしれませんね。
江戸時代のめがねは、レンズにガラスか水晶、フレームにべっ甲や水牛の角、木などを使っていました。よく知られているのが、徳川家康の遺品。久能山東照宮に「目器」として伝わる重要文化財で、つるはなく、鼻に乗せるか手で支える形。そのフレームは、べっ甲でできています。
日本にめがねが伝わったごく初期から、べっ甲は最上級の素材のひとつでした。天下人が鼻に乗せていた縁と、いま私たちが扱う素材が同じである。なかなか面白い事実だと思います。
三共社には「341」というべっ甲アイウェアのブランドがあります。素材はタイマイという海亀の甲羅で、生を全うして自然へ還った個体のものだけを使い、職人が長い時間をかけて磨き上げます。斑の出方も飴色の深さも一枚ごとに違うので、同じ柄のフレームはできません。
べっ甲はかけ込むほど艶が深まり、手に馴染む。持ち主が重ねた時間が、そのまま素材の表情になります。ブランドが掲げているのも、時を超えて受け継がれる価値と、自然の循環を尊重することです。
名前の「341」は、かつて本郷区湯島天神町にあった、今はもう存在しない番地に由来します。三共社が115年、眼鏡とともに歩いてきた出発点の住所です。そして三共社は、今も湯島にあります。上野公園を南へ抜け、不忍池のほとりを回ってさらに南に抜ければ湯島。江漢が絵に描いた池と341が生まれた町は、歩いて行ける距離にあります。
展覧会は10月18日までです。もし上野へ行かれるなら、帰りに少し遠回りをして、不忍池のほとりを歩いてみてはいかがでしょうか。江戸時代の絵師が見てきた景色と同じ景色を今レンズ越しに見る。景色は全くかわってしまったかもしれませんが、同じ場所を見ていた、過去と未来を見るような不思議な感覚を味わうことができるかもしれません。いつか手元にべっ甲を選ぶ日が来たら、その素材も日本のめがねのごく初めから使われてきたものだと、思い出していただけたらうれしく思います。









