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「ふつう」ってなんだろう? ― 息子と私と一本の眼鏡の話 ―

週末の朝食中、息子がスマホを見ながら食事をしていた。静かにスクロールを続けながらパンをかじる。

私は思わず口をついて出た。

「食事中くらいスマホ置きなさい。“ふつう”におかしいでしょ。」

すると息子が、顔を上げて言った。

「みんなやってるよ。テレビ見ながら食べるのと何が違うの?」

言われてみれば、私も昔はテレビを見ながら食事をしていた。でも「スマホ」にはどうしても違和感がある。

目の負担、記憶力の低下、集中力の低下、依存性…。デメリットを上げれば数知れず、どこかで“悪いもの”という印象がついていた。

ふと、自分が子どもだったころのことを思い出してみると、TVゲームに夢中だった日々。当時は「ドラクエ」や「ファイナルファンタジー」に熱中し、架空の世界で冒険することが何より楽しかった。

ゲームばかりしていると「引きこもる」「バカになる」と親からいつも言われたものだ。でも、今思えば私にとってゲームは自分の想像力や感性を静かに育ててくれた大切な場所だった。物語の中で様々な選択を迫られ、登場人物の心情を理解し、問題解決のために頭を働かせる。それは決して無意味な時間ではなかった。

息子にとってのスマホも、もしかすると同じなのかもしれない。友人とのコミュニケーション、興味のある情報への接触、新しい価値観との出会い。私が理解できないだけで、そこには彼なりの学びがあるのだと思う。

私はずっと“普通”とは「常識」であり、「正しさ」だと思っていた。けれど、それは単に自分の中にある物差しに過ぎなかった。

ゲーム、動画、SNS。誰かの発信にリアルタイムで触れ、自分の感情を共有する。ひと昔前なら考えられないほどのスピードで、情報も表現も行き交っている。そんな環境で育った息子にとって、デジタルツールは呼吸するように自然な存在なのだろうと。

息子にとっての“ふつう”と私の“ふつう”は違う。

どちらも間違いではない。大切なのはそれを押しつけず、相手と自分の価値観をきちんと見つめ直せるかどうか。

そんなことを考えていたある日、いつも身につけている、modern times ‘vintage’(モダンタイムス ヴィンテージ)が気になった。これも、”普通”を極める、いや、「ベーシックを極める」というコンセプトだったなと。

この眼鏡を初めて見たとき、強く惹かれたのは――

流行でも誰かの評価でもなく、「これが自分にとってしっくりくる」と思えたからだった。派手さはないが、静かに漂う気品がある。

MVT21 col.04

鯖江の職人が手がけた繊細なチタンフレーム。
耐久性と柔らかさを両立した構造。
無駄をそぎ落とし、必要な機能と美しさだけを残した、潔くも誠実なものづくり。

MVT 20 col.03

そして、目立たないのに確かな存在感を放つ七宝仕上げ――

うん。これはベーシックを極めたデザインだと、あらためてこのコレクションの完成度の高さを実感した。

若い頃は、流行を追いかけることで自分を安心させていたけど、今は流されないことで自分の軸を確かめている。

それが、私にとっての今の”ふつう”。そしてこの眼鏡は、その感覚にしっくりと寄り添ってくれる存在なのだ。誰に見せるでもなく、ただ自分が心地よいと感じるもの。それが本当の意味での「自分らしさ」なのかもしれない。

息子の”ふつう”と、私の”ふつう”。

きっとこれからも、すれ違ったり、交差したりするだろう。でも、お互いの価値観を認め合うことはできるはずだ。

同じ食卓で、静かにパンをかじる時間がある限り――

modern times のように、時代を超えて愛される普遍性を持ちながらも、それぞれの個性を大切にする。お互いの”ふつう”を理解し合いながら、互いを尊敬しあえる関係を築いていけたらと思う。

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